私がドイツワーホリにたどり着くまで2 キャリアとの葛藤
大学時代に留学の夢敗れ、泣く泣く就職を選んだ私。
「働いてお金を貯めて絶対に海外に行く!!!」
そう心に決め、2009年4月、某大手電機会社の子会社で物流専門の会社に就職しました。
暇OLやってました
物流の会社を選んだのは、海外に現地法人を持っているところが多いから。
就職活動の時点では、この先海外で暮らす手段として一番理想的、安定なのは海外転勤、仕事で海外に行けること。とも思っていたのでその可能性にも賭けつつ。
海外駐在が叶わなかったとしても(というか叶わない可能性のほうが高いので)、物流会社での経験があれば海外に行ってから現地採用にこぎつけることのできるのでは!?という目論見がありました。
希望通り国際物流部門に配属され、貿易事務として働き始めました。
が、仕事が全然面白くなかった。
私が就職する前年にリーマンショックがあったので、親会社が不調で最初の一年は仕事が少なくヒマだった。のと、私がやっていたのは輸出書類の作成なのですが、これはシステムを使ってできちゃうものだったので、ザ・ルーティーンワーク。
もちろん、大したストレスもなくお金はそれなりにもらえるので、留学貯金が第一目的の私にとってはなんといい環境!!
なはずなのに、満足できなかった。
大して頭を使うこともなくこなせてしまう仕事にものすごく物足りなさを感じていました。そして、物流という業界にちっとも興味が持てなかったんです。
「私もっとできるはずなのに。もっと頭つかって刺激のある仕事がしたい。」
海外に行きたい願望とは別に、やっぱり働き始めると出てきてしまうキャリアへの欲。
これ、就職前からなんとなくは想定してました。
もしかしたら、就職しちゃったら仕事がおもしろくなっちゃって辞められなくなってしまうんじゃないか。って。
幸い、仕事が面白くなることはありませんでしたが^^;、自分の社会人としてのキャリア、仕事のスキルに対する焦りは常にあって。
海外に行きたいからこそ短期間でスキルつけなきゃいけないのに。このまま海外に行って年だけとって、帰ってきて私は何するんだろう。
(大学4年生の時に不安に思っていたことと同じことで悩んでいる^^;)
そしてこの時期、自分自身に満足ができなかったし、自信が持てなかった。
私の周りはというと、PR会社だったり商社だたりIT企業だったりと仕事にやりがいを感じながら働いている子たちに囲まれていたので、その子たちが羨ましかったし、自分を比べてしまって惨めだとも思っていた。
海外願望と平行して考え始めた、自分は何がしたいんだろう。
とりあえず、貿易事務はもうイヤ。
ヒマOLやってる自分なんてイヤ。
何かもっと、自分が興味を持てるもの、好きなことに関われる仕事がしたい。
そう考えはじめました。
海外研修生のチャンス到来
入社して2年目の年から、社内で海外研修生制度というものができ、若手社員を対象に1年間海外支社で業務研修の機会が与えられるのです。
で、3年目の秋、ある日部長に呼ばれ、「各部から研修生候補を1人選出できるから、うちの部からは君を推薦しようと思うんだけ、どう?」と。
思いがけずのオファーでした。
海外勤務を経験するチャンス!
ただし、行先は限られていてアメリカ、香港、タイ、シンガポールのどれかでまだどこになるかは分からない。私の憧れのヨーロッパはオランダに支社があったのですが、前年に私の同期が派遣されているので可能性は無。
でも、はたしてこの興味のない業界で、しかも希望でない国に行って私は満足なんだろうか。(例えば)タイの物流倉庫で働く自分を想像してみた。
答えはノーだった。
いくら憧れの海外勤務とはいえ、これは私の理想とする姿じゃない。
いざ海外へ!と思いきやの転職
海外研修生の話しがきっかけで転職への気持ちが固まりました。
2012年4月末、26歳のときに、3年間働いた物流会社を退職し、転職しました。
3年間で目標にしていた貯金額は貯まっていたし、そのまま海外に行くこともできました。
でも転職を選んだのは、このままの自分で海外に行くのが不安だから。
(海外に行きたいって言い続けているくせにみみっちい!!!)
転職したのは、小さな化粧品会社。
化粧品大好きなので、運よく希望の業界に転職することができました。
通販をメインにしている会社だったので、担当したのはWEBマーケティング。
WEBマーケティング。
響きがかっこいい・・・(笑)
これよこれこれ、私が求めていた刺激的な仕事は!!
と思いきや、、ブラック企業だった。。
家族経営でお嬢育ちの女社長のわがままに振り回される日々・・・。
キャリアチェンジのために転職したのに、何も学べないじゃん!!!
辛かった。
かつてないくらいの理不尽さを感じながら日々ストレスを感じて働いていました。それまで胃腸科なんて行ったことなかったのに1年で3度も胃腸科に通うほどストレスだった。
転職して半年。
もう無理!!!!こんな会社で働いてられるかーーーー!!!!
こんな会社で働いてても時間の無駄。キャリアとかそんなことよりもう精神的に無理。
今度こそもう海外に行く!!!
「ブラック企業を辞めたい」その一心でついに海外行きを決意することができました。
残念だけど、不の感情が一番の起爆剤になる・・・^^;
(あれっ、こういうの「逃げ」っていうのかしら・・・)
えっ!?まだ迷うの??
自分でも呆れるけれど 、最後の最後に誘惑が用意されていました。
辞めるにしてもとりあえず1年は続けよう。
ということで5月末での退職を見据えてフランス渡航の準備を始めた2013年3月、想定外の出会いが。
外部からやってきた超やり手の通販コンサルの上司との出会い。
彼は、CMバンバンうってる超有名商品を急成長させた立役者という実力者。
(この会社、小規模でブラックだけど人脈だけはものすごかったんです)
これまでおバカ社長の気分に振り回されて仕事をしていたのが一転、経験も知識も豊富な彼の下、初めて建設的に仕事ができる環境。代理店との交渉も判断も全部任されて、自分の采配で仕事ができる環境。
この人の下で1年働けば絶対に力がつく。
本気で悩んだ。
純粋に仕事が楽しいと思い始めちゃったから。
それになにより、今の自分、これが3年前、社会人になったころ自分が思い描いていた理想の姿だ。って思えるようになっていたから。
でも、フランス行きを決める最後の最後で背中を押してくれたのは彼氏でした。
そうそう、私、海外に行くまでは彼氏つくらないつもりでいたんですが、不覚にも恋をしてしまったんですね。(4年間弱付き合って、結局今回のドイツ行きで別れることになりましたが)
「今ようやく仕事が楽しくなってきて、成長できる環境にあると思うから、フランス行き延長してやっぱりもう1年働こうか迷っている。」って相談したら
「一度行くって決めたんだからもう行ってきなよ。今まで安パイでしか生きてこられなかったんだから、一度くらい、先が不確かだって挑戦してみなよ。本当に自分に自信があるなら道は自分で切り開きなさい」
これが最後決定打になってフランス行きを本当に決意できました。
先が安全だって確信が欲しくてなかなか勇気がでなかった私
彼に指摘されたのは、私は石橋を叩いて叩いて叩きまくって本当に安全だって確信できないと渡れない、行動できない。だけど、確信がないまま飛び込んだっていいんじゃないの?って。
先はどうなるか分からないけれど、もし橋が崩れちゃったとしても、川を渡る別の方法を考えればいいんだよ。って。
この記事を書きながら振り返っていて、本当にウジウジしてたなぁ、自分。と思うのですが、
結局、私はいつまで経っても先のことが不安で行動できずにいたんです。
「海外に行く」って言い続けてきたのに、何度も飛び込みかけては足踏みして。
「未来は安泰だから捨て身で海外に行っても大丈夫」っていう安心感を欲していたんだと思います。これまでずっと安全ロードを歩いてきたから、海外行きという、道を外れるにしても、そこが安全だよっていう確信が欲しかった。それをキャリアに求めていたんですね。
だけど、どんなに考えたって先のことなんか分からないし、たとえ計画したとしてもそれが思い通りになるかなんて分からない。だから、考えすぎないで行動しちゃえばいい。
重要なのは、不確かな未来のことを考えすぎることより、その時々でどうすればいいのか考えて行動できること。これがしたいけどできない理由をあげるより、できる方法を考えること。
そんな風に、考えかたをちょっと変えることができたフランス行きの決断でした。
最後、会社の送別会でサプライズプレゼントされた特性ケーキ!!