ベルリンへの理解に小さな革命が起きた夜
観光客ではなく、ベルリナーが通うバー。
そういうバーは、暗くてタバコの煙に満ちている。
これがベルリナーの愛するスタイル。
暗くて煙たくて薄汚れた空間。
家具も年期の入ったものが多い。
ベルリナーのメンタリティー
わたしはいまいちベルリナーの好みに共感できない。
こういうものを好む、ベルリナーのメンタリティーってなんなんだろう?
ベルリナーからのこたえはこう。
自分や友達のアパートにいるような、学生のときのクラブの部室にいるような、そういう居心地のいいものが好きなんだよ。
学生のとき、みんながいろんなところから拾ってきた家具を持ち寄って、ちぐはぐな家具でつくりあげた部室。
そいういうものを思い出させてくれる空間。そういうものに愛着を感じるのがベルリナー。
着るものも、人から見て恰好いいもでなくて、自分が着ていて心地のいいものを着ているんだよ。だからたとえば、mikaはばかにするけど、みんな心地いいからパーカーなんだよ。
たとえば、「これはパリ製、ロンドン製です」ってとてもスタイリッシュな家具を勧められてもベルリナーは買わないよ。でもそれが10年後、生活感を帯びてきたら買うだろうね。used lookなものを好むんだよ。
うーん、この説明しっくりきた。
そう、ベルリンてレトロなの。
街で人々を見ていても、たまに昭和(ドイツに昭和はないけどさ)なかおりがするなぁって思うことがある。
大き目の霜降りのジージャンとか。
なんか、時代をさかのぼっちゃったんじゃないか、というか、壁崩壊のときの写真の中からそのまま出てきたみたいだな、この人たち、って感じることがある。
それは、生活感の染みついたものに愛着を感じるベルリナーのメンタリティーによるものなのね。
アンティークではなくヴィンテージ
ベルリンの魅力とは・・・
(前回の現代ミュージックの記事もこのバーです)
この記事も同じ日の別のアーティストの演奏を聴きながら考えたこと。
(例えばほら、このランプもおばあちゃんの家の洋間にあったランプみたい。)
チェロを弾いているけれど、現代ミュージック。
今時チェロでもコンピューター使いながら演奏するのね。
足元の機会を足でピコピコいじりながら演奏していました。
歌声というより、呻きというのか、壊れた機械から発せられたような音で始まった演奏。
そこにチェロの演奏も加わる。
足元のスイッチをいじると、今発せられた声がこだまのように何度もエコーする。そうして何層にもなった声とチェロの音。
声と音が重なりすぎて、どれが今発せられている音なのかも見失いそう。
グレゴリオ聖歌のような、アイリッシュ音楽のような、神秘的であり、でも気がめいる様な音の波。
重なり続ける声がつくり出すのは不況和音。
激しい叫びではないけれど、何かをうったえたそうな。
これは悲しみだろうか、苦しみだろうか、祈りだろうか。
(前回書いたこととかぶるけれど)
現代アートってやっぱりよく解らない。
わたしはやっぱりクラシック音楽が好きだなぁと思う。
音楽にしても絵画にしても、クラシカルなものが好き。
解りやすく美しいものが好き。
だから現代アートってよく解らない。
音と声の波に身をゆだねながら、
自分の芸術への趣向と、ベルリンを好きになりきれないこととが繋がるんじゃないかって思えた。
わたしはコンサバティブ、保守的なのだ。
だから古い時代の価値観での美しい街が好き。(プラハとかウィーンとかドレスデンとか)
ベルリンの持つ価値観はそれとはちょっと違うんだ。
クラシカルではない。
古いものが残っているけれど、その古さはどんなに古くても70年程度のもので。
だけどその70年の中で古くなっていくものたちに価値を見出している街。
きっと、ものすごく古いものって美しい対象になるんだけど、数十年昔のものって、”美しい”にはなりきれず、”古臭い”になってしまうんだと思う。
だけど、それを”古臭い”ではなく”愛着あるもの”ととらえるのがベルリンなんだろうな。
そんなことを考えていて、はっと、
今自分は、これまで暮らしてきた世界とも自分が憧れてきたものとも全く違う価値観をもった街にいるんだってことを、ものすごくリアルに感じた。
ロンドンもパリも美しくて魅力的だけど、その魅力ってすごく解りやすいものだとおもうのね。
パリは言うまでもなく外観そのものがエレガントだし古いものの放つ美しさ、ロンドンも古い美しい建物が残る一方で、最先端のエンターテイメントもたくさんある。
人々が憧れやすいものが多い。解りやすい。
でもベルリンの魅力って、一見目には見えないのよ。
解りやすく美しいものが少ないから。
破壊されちゃったからね、戦争で。
だけど、ベルリンの価値、というかこの街をベルリンたらしめているものって、人々の精神なんだと思う。
その精神が、古びれたものに価値を見出すメンタリティーが、わたしたち日本人とは真逆にあるから、理解がむずかしいんだわ。
どんどん新しい建物を建てて、そのことに価値をおいている日本人、東京。
それとは全く相反したメンタリティをもった街なんだ、ここは。
そのことに気づいたら、今この瞬間が、ものすごく刺激的なものに思えてきた。
真逆の価値観を持つ街にいること。
東京とベルリン。
同じく敗戦国の首都で焼け野原を経験している。
今日までの復興の歳月は同じなのに、そして両国とも技術に優れた国なのに、どうしてこの街は未だにこんなにゴチャっとしているのだろう。って考えててたんだけど。
もちろん、壁の存在、コミュニズムゾーンにあったことも大きな理由ではあるはずだけど、そもそものメンタリティーが違うんだ。
価値観の違う世界にいること。
慣れたと思っていた街だけど、わたしはまだ本当のベルリンには浸りきれていない。
さんざん、ベルリンは小汚いといい続けてきたわたしだけれど、たぶんベルリナーにとってもはこれは小汚いではなく居心地がいいものなのだ。
先日、ベルリンいや!って思う経験をしたばかりだけれど、それにも少し寛容になれるかな?
・・・いや、やっぱり不衛生は無理か。
古いことと汚いことは違うからね。
さらに言えば、古びれたものを愛しつつも外から入ってくる新しいものも否定しない。
だから外国人にも寛容だし、世界中からアーティストが集まってくるんでしょう。
(もちろん物価の安さなど現実的な魅力もあるだろうけれど。)
私とベルリン
ベルリンに来ることを選んだのは自分だけれど、自分にとってベストな選択というわけではなかった。
好きだから選んだわけではない。
「ベルリンの雰囲気がすごく好き!」とか「ベルリンがいいからドイツに来た」っていう人もいるけれど、私はそうじゃない。
前にも書いたけど、ロンドンやパリには「住みたい!!」って憧れを抱いていたけれど、ベルリンはそういう感情を抱けなかった。
2年前に旅行で来たときも、特に惹かれるものはなかった。
いまでもお隣の国の首都プラハのほうが好き、と思ってしまう。
ドイツに来るにあたりどの街を選ぶかは迷ったところで、でもフランクフルトやデュッセルドルフの西側の街には興味はなくて、それよりは文化的だったり歴史ある街がいいな
でもミュンヘンは物価が高いから住めないし・・・
あんまり小さな街もちょっと・・・
などなど消去法で残ったのがベルリン。
ずーっと憧れ続けてきた「ヨーロッパに住むこと」
そしてその憧れの大きな部分を占めていたのは美しい街並み、歴史的な建造物。
でも最終的に自分が選んだベルリンはそういう要素は薄い。
私にとって、ふとした瞬間に、「ただここにいられることが幸せだぁ」と感じさせてくれる街ではないのだ。(ドレスデンにいたときは旧市街の街並みを見るたびに感じてたのに。古い美しい街並みはそれだけで私を幸せにしてくれる)
まぁ、旅行じゃないんだし生活するってこういうことなんだろうけど。
だから自分を納得させるため、この街の魅力を理解しようとしながら日々生活している。
一般的にいわれてるような「ヨーロッパでいま一番あつい街」とか「世界中の若者が憧れる街」みたいなことを、ちゃんと自分の感覚で理解したい。
ずーっと憧れ続けて叶えたヨーロッパ生活、最終的にたどりついたのは自分が想像していたようなおしゃれな街での生活ではない。
なんだか残念なひびきだけれど、これは自分への挑戦かもしれない。
自分の価値感に変化を与えるチャンスかもしれない。
いままで自分が興味をもってこなかったものの魅力を理解しようとすること。
思いがけず、ちょっと目の前が開けた感覚を覚えた夜。
ちなみに、ベルリンの魅力について考えさせてくれたバーはこちら。
クロイツベルク、Schlesisches Torから徒歩3分ほど。
Madame Claude
(さんざんベルリンについて語ったけど名前はフレンチだ笑)
Lübbener Str. 19 – 10997 Berlin
(Corner Skalitzerstrasse / Wrangelstrasse)
U-Bahn: Schlesisches Tor or Görlitzer Banhof