予期せぬ緊急一時帰国、祖母の入院
ドイツ滞在残りの日々が2か月をきったこのタイミングでの一時帰国。
まったく予想していなかった。
12月31日の朝一で見た母親からのLINEメッセージ。
「今日おばあちゃんが入院しました。検査したら左の肺が真っ白で肺がん末期だそうです。みかも一度帰ってくることを検討しなくちゃいけないくらい悪い状況です。」
見た瞬間頭が真っ白。
夢かと思いたかった。
メッセージを見てすぐに親に電話したときには涙が止められなかった。
大好きな祖母。
年末にちょっと体調を崩しているのは聞いていて心配していたのだけれど、いままで肺がんを患っているようなことを感じさせることなんて全くなく、少なくとも私がドイツに発つ前は元気だったのに。
全く信じられず、でもものすごくショックで、帰国するかどうか迷う余地なんかなかった。
末期がんだと分かったからってすぐに最悪の状況を迎えるわけではないけれど、それでも会えるうちに会いに行かなくちゃ。
編み物が得意な祖母。
毎年セーターを編んでくれて、暖かい祖母の手編みのセーターはドイツにも持ってきているし、ほんの1か月前にも母から「おばあちゃんがセーターを編んでくれたよ」って連絡があったし、いつもと変わらず元気でやっていると思っていたのに。
「こんなに複雑な編み図を読んで編むことができちゃうなんて、絶対に呆ける心配はないね」なんて笑っていたのに。まさか体が病んでいたなんて。
まさか。私がドイツにいる間に祖母が入院するような事態になることすら予期していなかったのに、がんだなんて。
ほんとうに信じられない。
だって、末期って、じゃぁいつからだったんだろう。
全くの兆候なしに末期なんてあり得るの?
それともおかしなところがあったのに黙っていたのだろうか。
ほんとうにほんとうに、私の記憶の中の祖母はどんなに最近の姿だって、そりゃあ腰は曲がっちゃって小っちゃかったけど、まだまだ畑仕事だってしていたし、体の中を病気にむしばまれているなんてちっとも思いもしなかったのに。
祖母への想いが込み上げてきて、帰国までの数日間もちょっと気を抜くとすぐ涙が出てきて。
大好きな祖母。
一緒に住んでいたわけではないけれど、車で20分くらいのところに住んでいて、小さい頃からよく遊びに行っていた。
結婚前は小学校の先生をしていたためか、私が小さい頃から一番勉強を見てくれた。「おばあちゃん塾」と称した週末のお泊り特訓。終わるとおこずかいをくれて、たくみにお金で釣りながら私に勉強の習慣とモチベーションを与えてくれた。
子供の頃体験した戦争の話を何度も聞かせてくれた。
読書好きだって祖母の影響だと思っている。
農業を営んでいた祖父母。
中学生になるまでは毎年稲刈りの手伝いもした。土を触ることを身近に経験しながら育ったこと。今でも田んぼの中の風景や自然の中に居心地の良さを感じるのは、そのおかげなんだろうなって思っている。
祖父母の田んぼでとれるお米のおかげて我が家はお米を買ったことなんてなかったし、お米以外にも、じゃがいも、だいこん、にんじん、きゅうり、ブロッコリー、とうもろこし・・・なんだって「おばあちゃん産」だった。
私の体は祖母がつくってくれた野菜でできている。
2年前に祖父が脳梗塞を起こし入院した。幸い軽症で今は障害が残っているもののそれ以外は元気に回復した。
そのときだって、それまで元気に畑で働いていた祖父が病院のベットに横たわっている姿を見るのがすごく辛かったのに。まさか祖母が入院する姿を見る日がこんなに早く来てしまうなんて。
ドイツに行く前、祖父の体調は心配していたけれど、祖母が体調を崩すなんて思ってもみなかった。
今でもしっかり覚えている。一緒に病院にお見舞いに行った時、病室で祖父の手を握りながら励ましていた祖母の姿。
そんな祖母の体があの時すでに病んでいたなんて。
思い出す一場面一場面が、どうして早く気づけなかったんだろうって、悔しくて仕方がない。
とても穏やかで温厚な祖母。
いつもニコニコしていて褒め上手。
子供の頃、テストで1番が取れなかったときも、「1番をとっちゃったらその上がないけれど、まだまだ上を目指せる余地があるんだからいいじゃない。」と言ってくれた。
弟が酔いつぶれてお財布携帯を取られて帰って来た時も「人のもの取っちゃう側じゃないんだからいいじゃない」って。
おばあちゃん、そういう捉え方してくれるのね(笑)って。
そういう祖母の温かい優しさに甘やかされて育ってきた。
そんな風にいろんな事を肯定的に捉えられる祖母の穏やかさを尊敬して、私もあれくらい寛大でありたいなって思って生きてきた。
あんなに穏やかでいれたらストレスも少ないだろうし、がんなんて無縁で生きていけるんだろうなって、思っていたのに。
何を思い出したって、この現実を受け入れられない。
以前、「みかちゃんがこの間産まれたばかりだと思っていたのに、もう成人式なのね」って言われたとき、そんな大げさな、って思っていたけれど。今の私にとっては、子供の頃の祖母の印象のままいつまでも元気だと思っていたのに、現実には時間と共に祖母は少しずつ老いてしまっていたんだって。
ある程度の年齢に達してからは自分の容姿は大した変化もないし、あまり時の流れが人に及ぼす変化って自分自身からは感じにくくなっていたけれど、自分より年長の人たちは確実に老いてゆく。そんな現実を直視させられた。
「みかちゃん、いい人がいたら早く結婚してよ。おじいちゃんとおばあちゃんが元気なうちに花嫁姿見せてよ」ここ数年は会うたびに言われて。
そうは言われてもそれだけは簡単には叶えてあげられない。だけどあと10年くらい大丈夫でしょって思ってた。
私の子供もおばあちゃんの手編みのセーターを着て育つんだって思っていたのに。おばあちゃんに抱っこしてもらいながらたーくさん優しさを知って育つんだと思ってたのに。
間に合わないかもしれない。
ごめんね。
そんなたくさんの想いが溢れてくる。
昨日の夜に羽田に着き、10か月ぶりの帰国。
時差ボケと寝不足と泣いたせいで重たい瞼。風邪の名残で鼻水も止まらない。
まずは祖父の家に寄り祖父と再会、それから一緒に祖母の病院に行ってきた。
久しぶりに私の顔を見て「立派になったな」なんて、もうこの年になったら10か月やそこらじゃそんなに変わらないでしょ、って思いながらも元気な祖父の姿を見れて一安心。
二言目に「おばあちゃん、入院しちゃったよ」って。初めて祖父の涙を見て私も涙をこらえられなかった。
病院は何度行っても苦手。誰であっても、元気だった人がベットに横たわっている姿を見るのは辛い。
私の顔を見て喜んでくれた祖母。「もう会えないかと思った」
そんなこと言わないで。
鼻に酸素注入のチューブを付けていて、たまに呼吸が苦しそうにしている姿を見るのは居たたまれなかった。だけどちゃんと会話はできるし、笑顔も見れた。
「おじいちゃんとおばあちゃん、あなたたちみたいな孫に恵まれて幸せよ」って。今日もそう言ってくれた。
「それは素敵なおじいちゃんとおばあちゃんに恵まれたからだよ」本気でそう思っている。そう言ってくれる祖父母の存在がどれだけ私の糧になっていることか。
「2月の末に帰ってくるから、それまでがんばってね」
もちろんもっともっと生きていてほしいけれど、せめて私が帰って来るの待っててね。
祖母の顔を見れたこと、会話できたことですこしほっとしたけれど、やっぱりふと気を抜くと涙が止まらない。涙腺て一度緩むと開きっぱなしなのね。
大切なものを失ってしまうかもしれないという恐怖は、実際に失うことよりも辛いんじゃないか。
そう思えてならない。
毎日でも祖母に会いに行たい。
だけど、まだドイツでやり残していることがあって本帰国はできないの。
長居することができないので、家族以外には知らせずこっそり帰ってきました。
せっかく帰ってきたけれど明後日の昼にはまたドイツに戻ります。