ドイツでワーホリ!!

ドイツ留学専門エージェント「ドイツ留学サポートセンター」を運営しています。自身がドイツワーホリ中に書き始めたブログ。ドイツの情報や、海外経験についてなど書いています。

私がドイツワーホリにたどりつくまで1 留学を諦めた大学時代

今回のドイツワーホリにたどり着くまで、長年の想いがありました。

今更ですが、自分のこれまでについて書いてみます。

 

初めてのドイツとの出会い

私が初めてドイツに出会ったのは今から18年前。11才の時。

 家族旅行で初めて訪れたヨーロッパの国がドイツでした。

 

その他にもスイスのルガノ、イタリアのヴェネチア、フランスのパリにも行ったのですが、その時見たヨーロッパの街並みの美しさが衝撃的過ぎてヨーロッパの虜になってしまったのです。

 

私の運命を変えた、というか決定づけた旅行でした。

 

ちなみに今回、私を虜にした思い出の地への再訪問も果たしました。

doitsu-wahori.hatenablog.jp

 

 

ヨーロッパへの憧れを抱き続けた学生時代

これもヨーロッパ旅行の影響だと思うのですが、ヨーロッパ史にすごく興味があって、高校では世界史が大好き、資料集を見ながらわくわくしちゃうくらい、ヨーロッパへの憧れを温め続けていました。

もう一度フランスとドイツに行きたい!ヨーロッパに行きたい!この頃からの願いでした。

 

海外に行くには英語をやっとくのが近道なんじゃないか、という単純な考えから大学は英文科に進もうと決め、早稲田大学教育学部英語英文学科に入学しました。

本当は、私が入学する前の年にできた国際教養学部に入りたかったのですが、残念ながら不合格だったので。国際教養学部を希望していたのは、在学中に留学が義務づけられている学部だったから。

高校生の時から大学に入ったら留学したい、と考えていたのです。

 

初めて味わった挫折

大学2年生の秋、翌年の留学を考えはじめ両親にその旨を相談しました。

ところが即答でのノー。

 

高校生の頃から留学したいと言い続けてきたので、まさかここで親の反対にあうとは想像もしていませんでした。ものすごくショックで、悔しさとやり場のない気持ちに、部屋で泣きじゃくったのを覚えています。

 

理由は経済的なもので、弟も大学進学を控えていたので、あなたの留学費用は出してあげられないと。でも本当は、当時の私はまだふわふわしていて、1人で海外に出すなんて親は心配だったんだろうと思います。

 

あとは、親を説得できるだけの私の努力が足りなかった。本気で海外で勉強したくて普段から勉強をがんばっていれば、その熱意を親も認めてくれたろうと思うのです。だけど私の「留学したい」は「海外で勉強したい」ではなく「海外に住んでみたい」が主な理由だったので

 

留学したいと言い続けてきた割には、つめが甘いというか、努力ができなかったんです。いい成績とって交換留学枠(交換留学の場合は日本の学費が現地の学費に充てられるので私費留学より費用が抑えられる)に応募することだってできたはずなのに、その努力ができていませんでした。

 

自分の甘さを思い知ったし、いかに他力本願で生きてきたかということを思い知らされました。私がやりたいと言ったことは、親がなんでも叶えてくれると思い込んでいたんです。それまで、高校、大学と希望通りに進学できてきたし、願ったことはなんでも叶うものだって本気で信じていました。

 

だから、初めて自分の思い通りにいかないことに直面して感じた挫折感。絶望感。

当時は、大学時代に留学できなかったらこの先もう一生そんなチャンスはないって思っていたんです。今を逃したら海外に行けるチャンスなんてないんだって。

卒業したら就職して30までには結婚して、ってそうやって生きていくものだと思っていたので、海外に行くチャンスなんてないじゃん・・・って。

 

 

でも、反対されても諦められない。

挫折感と同時に、初めて、自分が心底やりたい、叶えたいと思えることに気づいた瞬間でもありました。

 

大学時代の短期留学

イギリス・オクスフォード

留学に反対されたものの、夏休みの短期語学留学には行かせてもらいました。(今考えれば、これだって結構なお金がかかったので親には感謝です。)

 

大学3年生の時にイギリスのオックスフォードに3週間、大学のプログラムで語学研修に参加しました。

 

日本人グループでの参加なので留学というほどでもないですが、親友に出会うこともできたしすごく素敵な思い出です。

 

長年の念願だった家族旅行以来のヨーロッパ、「やっぱりヨーロッパが好き!!どうしてもここで生活したい!!」とヨーロッパへの憧れに再び火がつきました。

 

マルタ島

イギリス短期留学を経験し、ますます大きくなってしまったヨーロッパに住みたい願望。

今すぐの長期留学は無理でも、少しでもヨーロッパに行きたい!

ということで大学4年生の夏には自分の貯金を使って、2週間マルタ島の語学学校に行きました。

 

これが初めての一人で海外体験です。

マルタは地中海の南、もうかなりチュニジアに近いところに浮かぶ小さな島でヨーロピアンのリゾート地。語学留学というよりバケーションといったかんじでしたが、初めて一人で、ヨーロッパ人に囲まれて過ごす2週間はものすごく刺激的でした。

 

それでも安全な道は外れられなかった

本気で海外に行きたくて、今すぐにでも行きたくて。

 

ってなったら、行動力のある人なら大学卒業してすぐに就職せずに海外に行くことを選べるんだと思う。

 

でも、私にはその勇気がありませんでした。

 

卒業までバイトでお金貯めて、卒業したら就職せずにそのお金で海外に行こう。キャバクラで働けば結構稼げるはずだし・・・。なんて考えたりもしましたが、行動には起こせず。まずは就職することを選びました。

 

卒業してすぐに海外へ行って、その後どうするんだろう・・・っていう先のことが不安だったんですね。新卒捨てて海外に行ったとして、帰ってきて仕事は見つかるんだろうか、その先どうするんだろう、って。

 

私の場合、大学時代は留学したいと言ってはいたものの、別に海外で勉強がしたいわけではなく、ただ住みたいっていうのが一番大きな理由です。そんな理由で海外に行って、たとえ英語(もしくはその他の外国語)が話せるようになったとしたって、言葉は手段でしかないからそれだけでは強みにならない。

 

そんなことを考えたら、卒業後すぐに海外に行くのは当時の私にはリスクが大きすぎるように思えました。

 

 

あとはやっぱり、学歴へのこだわりですね。

 

せっかくいい大学出たのに、それを棒にふるの?って。

そんなのどうでもいいことなのに、って今では思えますが、当時は早稲田大学ってことへのプライドみたいなのがあったんです。

 

留学したい、という気持ちとは別にして、学生時代の私の中にあった将来図は「いい大学を出て、いい会社に就職して、経済力のある旦那さんと結婚」というまったくひねりのないものだったので、それを外れてしまうことへの恐怖。そしてそれ以外の生き方なんて想像もできませんでした。

 

いい大学出たんだから有名企業に就職しなきゃいけない、みたいな強迫観念があったし、すごく視野が狭かったんですね。

 

「学歴が足かせになって、思い切った生き方ができない」って感じていました。本当の足かせは学歴じゃなくて、そういう考え方しかできない自分の思考だったんですけどね。

 

でも実際の私は、就職活動を目の前にして将来やりたいことなんて分からなかったし、それこそ専業主婦になるくらいしか自分の将来像が描けなかった。さらに就職なんかより今一番したいのは留学(というか海外に住むこと)なのに、っていうもんもんとした気持ちで、就職活動にもいまいち本気になれず。

 

そんな状態だったのでなかなか内定も出なくて、就職活動は苦労しました。

そうそう、当時はもうひとつの小さい頃からの憧れだったフライトアテンダントになりたかったのですが、これも全部面接で落ちてしまい、留学に続き夢破れる。

 

最終的に夏になってようやく一社だけ内定がもらえた、大手電機会社の物流子会社に就職が決まりました。

 

 

以上が大学までのお話。

就職してから今に至るまでは次回書きたいと思います。

 

 

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