ドイツでワーホリ!!

ドイツ留学専門エージェント「ドイツ留学サポートセンター」を運営しています。自身がドイツワーホリ中に書き始めたブログ。ドイツの情報や、海外経験についてなど書いています。

ハイデルベルク旅行記2 ドイツ最古の大学街を散策

ハイデルベルク旅行2日目。

ちょっと寄り道・・・

ハイデルベルク2日目の初っ端、何を思ったか、私宛もなく中央駅からバスに乗ってみました。ネッカー川の旧市街とは反対側の山の中を通る34番のバス。

バスはぐんぐん山を上っていき、だんだんと家の数も少なくなってゆく・・・。いったいどこまで行くのかしら。。

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私以外の乗客が全て降りてしまいバスに一人残されさすがに不安になったので、次のバス停で降りました。そしたらこんな牛さんたちが。水牛!?

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が、それ以外特にこれといって何もなさそうなので次のバスに乗ってそそくさと街へ引き返したのでした。

と、ちょっと冒険した割には何も得られず(笑)

 

旧市街へと続くカール・テオドール橋の前でバスを降り対岸からの眺めを楽しみます。

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哲学者の道から街を見渡す

ネッカー川を挟んで旧市街の反対側の高台に、「哲学者の道」と言われる道があり、そこからの眺めがいいというので登ってみることに。

 

橋のすぐ向かいに「蛇の道」と名の着くSchlangenwegがあるのでそこを通って哲学者の道を目指します。

 

入口はこんな民家の横っちょです。車で隠れてる^^;f:id:mikamilka:20160124234700j:plain

くねくねと急勾配を登って行く細い道。途中から階段になるのですが、結構急で息が上がります。

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ふぅ~。息を切らせながら登りきって眺める風景!!

わぁ~~~素敵な街並み!!

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お城からの眺めも素敵だったけど、ここからの眺めがいいのはお城全体も見えること。

ちょうどお城と同じくらいの高さかな?

 

ゲーテをはじめとする多くの詩人や哲学者もここからこの風景を見たんですって。

そりゃぁこの景色を見たら創造力掻き立てられちゃいますよね。

私には何も浮かんできませんが(笑)

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この景色に惹きつけられてしまってこの場を離れがたかったです。

いつまでもぼーっと眺めていたい。

時間を忘れるどころか時代すらも錯覚してしまいそうになる。

 

遠目から見ると城砦のような雰囲気もあるお城が街のかわいらしさと対照的でいい味出してます。

 

カール・テオドール橋を渡り旧市街へ

高台からの眺めに分かれを告げ、Schlangenwegを下り再び川岸へ。

Alte Brücke(古い橋)とも呼ばれるKarl-Theodor-Brücke(カール・テオドール橋)、現在の石橋は1786-88にかけて架けられたものだそう。f:id:mikamilka:20160124234653j:plain

二本の塔が印象的な橋門

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橋の横にちょっと笑いを誘うはなぞの銅像が。

猫?ライオン?かと思いきや猿だそうです。

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ドイツ最古のハイデルベルク大学

お城とともにハイデルベルクの名を有名にしているのはドイツ最古の大学、ハイデルベルク大学です。開校は1386年!私よりぴったり600年古いのね!

 

旧市街の真ん中にある大学広場。

奥に見える、屋根の曲線が優雅なバロック様式の建物がAlte Universität大学旧校舎。

 

大学広場にもクリスマスマーケット。ハイデルベルクはあらゆる広場にクリスマスマーケットが・・・。大学校舎の写真が撮りたかったのにこれじゃぁメリーゴーランドがメインじゃないか-_-

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広場をはさんで反対側にあるのがNeue Universität大学新校舎で、校舎に囲まれて中庭になっています。真ん中の茶色い塔、Hexenturm魔女の塔というなんだかちょっと不気味な名前がついています。1380年頃のもので、現存する中世の塔としては唯一のものだそう。

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学生牢

大学施設の中でも特に有名なのが学生牢!1712年から1914年まで使われていたそうです。

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学生牢!?なんだそれ?

 

大学は自治権をもち、1712年から二百年あまり、学生の軽犯罪は法律ではなく大学当局が裁いた。そのためにここにも、大学にはおなじみの学生牢が用意されていた、最高刑が二週間。入牢中も広義には出てよろしい、食事はなじみの居酒屋からとりよせた。入牢を申しわたされると、仲間で前夜に盛大なお見送りをしたので、たいてい第一日目は二日酔いに苦しんだ。

中公新書 「ドイツ町から町へ」 池内紀

ドイツ 町から町へ (中公新書)

ドイツ 町から町へ (中公新書)

 

 ということらしい。

 

学生たちが暇つぶしに書いた落書きが部屋一面、どころか牢獄中に残されています。

当初は蝋燭の煤で書かれたため黒一色だったのが、のちに水彩で色も追加されたそうです。

落書きなのにオシャレ♪落書きにも知性が反映されているってことかしら。

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柱には写真まではめ込まれていました!変な帽子~。下のおにいちゃんはハンサムね♪落書きの絵たちが被っているのはこの帽子なのね!

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街をぶらぶら

ハイデルベルクは上から眺める街並みも素敵だけれど、細い路地を迷子のように宛もなく歩くのもとても楽しいんです。この道を曲がるとどこに出るんだろう?さっき通った気もするけど別の通りか?なんて思いながらふと出くわすかわいい街並み。

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ハイデルベルクの旧市街は1200年頃に城郭都市が形成され、中世には城壁内の限られた土地を有効活用するように隣の建物とぴったりとくっつけて住居が建てらたため、その間に細い路地が生まれたのだそうです。

 

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しかし1689-93年のプファルツ継承戦争でフランス軍により街はほぼ完全に破壊されてしまい、それ以前の建物はほとんど残っていません。今あるバロック様式の美しい建物たちは1700年頃から再建されたものだそうです。

 

ハイデルベルク城の一部を破壊したのもこのプファルツ継承戦争

こんなに美しい街を占領して破壊するなんて、やってくれるわねフランス軍。

 

「プファルツ継承戦争太陽王と呼ばれたフランスのルイ14世による領土拡大政策として世界史で習った覚えがあります。当時は名前を丸暗記するのみでプファルツってどこ??ってかんじだったのですが、ここがプファルツ領だったのね!というこれまた新たな世界史発見。

 

 

大学街だけあって、古本屋さんをたくさん見かけます。

古本屋さんてなんだか宝探しみたいでワクワクするので大好き!どうせドイツ語読めないし荷物になるし買う気ないくせについつい入ってしまう!

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かわいいお店の並ぶPlöck

メイン通りハウプトシュトラーセと平行して走るPlöck。Air bnbのホストさんが「小さくて素敵なお店がたくさんあっておすすめ」と教えてくれました。

とってもかわいいキャンディー屋さんがあるとのことだったのですが閉まっていたのか?見つけられず。

でもカフェやアンティークショップ、ジュエリーショップなどなど個性的なお店が並んでいて素敵な通りでした。

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こんな感じで、小規模だけれど見所がものすごく多いハイデルベルク。緑の美し季節にまた来てみたいな。

 

 

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ハイデルベルク旅行記1 古城とロマン主義の街

もう一か月以上も前になってしまいましたが、そろそろいいかげんにハイデルベルクの旅行記書きたいと思います。

 

ロマン主義の街、ハイデルベルク

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ドイツの南西部バーデンヴュルテンベルク州にあるハイデルベルク。古城街道上にあり、ドイツ最古の大学のある街としても有名です。多くの詩人や芸術家にその美しさを称えられた、ロマン主義の街。

ネッカー川に沿って広がるオレンジ色の屋根の連なる街並み、山の上にそびえる古城、はぁ~~、とため息と共ににやけてしまう景色が広がります。

 

豪邸の立ち並ぶ住宅街!

前日の夜にハイデルベルクに到着し、翌日は朝から行動できました。weststadtという旧市街から徒歩15分ほどのところにあるAir bnbに宿泊していたのですが、旧市街に向かう道中に並ぶ家々の豪華なこと!!

家というより館です!まずこの景色に感激!!

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霜の降りた落ち葉に朝日が差しいい感じ♪

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 Bismarckplatzビスマルク広場からHauptstr.ハウプト通りを進む

旧市街の入口Bismarckplatzビスマルク広場。ショッピングセンターの立つ近代的な広場です。クリスマス前だったのでクリスマスマーケットが出ていました。

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そこからスタートする旧市街を貫くハウプト通り。

ドイツで一番長いらしい?歩行者天国で両サイドにはカフェ、洋服屋、古本屋、お土産やさん、雑貨屋さん・・・などなどが並ぶ賑やかな通りです。

この通り、1kmくらいあるんじゃないかしら、結構歩きます。

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通りの途中には教会(Providenzkircheプロヴィデンツ教会)があったり

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建物の一角に彫刻があったり、賑やかながらしっかり歴史を感じさせてくれる景観です。

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通りを更に進み左手に現れるHeiliggeistkirche精霊教会。

赤レンガと尖塔の屋根が特徴的なちょっと変わったゴシック建築

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この教会の裏がマルクト広場。これまたクリスマスマーケットが出ていて広場の外観が分かりづらくなってしまっていますが、右奥が市庁舎です。

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更に市庁舎の向かいにはKornmarktコルンマルクトという広場があり、ここからハイデルベルク城を見渡せます。

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ハイデルベルク

旧市街の西側、山の斜面にそびえるお城へ向かいます。

傾斜が急でお城に宿り着くまで一苦労。

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ハイデルベルクの一番の見どころはやはりお城でしょう!

 

プファルツ伯の居城として13世紀頃に築かれ、1400年から1620年にかけて歴代の選帝侯たちによって拡張されていったこのお城、さまざまな建築様式の建物が混ざりあっています。中庭に立つと一目瞭然です。

 

入口を入って向かい(南側)には簡素なゴシック建築が並びます。

時計のついた城門塔の右手にあるのがRuprechtsbauルプレヒト館。選帝侯ルプレヒト3世によって1400年から建築が始められました。

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入口の方を振り返ると(北側)一転、豪華な装飾のほどこされた建物たちが並んでいます。

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右手Ottheinrichsbauオットーハインリヒ館、1556年に即位したオットー・ハインリヒによって建てられたものです。

 

旧約聖書の英雄や、ギリシア神話の神々をかたどった彫刻で装飾されるファサードは、ドイツ・ルネッサンスの傑作とも評されるそうです。1764年の大火災により被害を受けたため、現在は石造りのこのファサードが残っているのみです。

窓から青空が見えて、もともとこういう建築だったんじゃないかと思えるほどこれだけでも印象的な建物です。f:id:mikamilka:20160123211406j:plain

その左、Friedrichsbauフリードリヒ館。

フリードリヒ4世により1607年に建てられたフリードリヒ館は初期バロック様式の豪華な建物です。ファサード一面に歴代諸侯の彫像が飾られています。

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そしてこのフリードリヒ館に隣接するのが、Großes Fass大樽です。ハイデルベルク城の見所のひとつ、世界最大の木製ワイン樽です。

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130本のオークを使って、全長8.5メートル、高さ7m、221,726リットル入ります。階段で樽の上に登ることもできます。

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城門を出て西城壕にでるとここにもクリスマスマーケットが出ていました。

でも個人的には、白いテントで味気ないしここにマーケット出しちゃうのは外観を害しているだけなんじゃ・・・と。ところかまわずクリスマスマーケットを出せばいいってもんでもないでしょうに。

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ここからハイデルベルクの街が一望できます!

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複雑に入り組んだお城も

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ここから東側にある庭園側に向かうと、火薬塔が目に入ります。1460年に防御用の建物として建設され、一階に火薬が貯蔵されていたそうです。1693年にフランスのルイ14世軍によって爆破され現在のような半壊状態になってしまいました。ちなみにこの塔の外壁は最大で6.5mもあるそうです。

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よく晴れた日だったのに、気づくと川から霧が上がってきていて間もなくお城も飲み込まれてしまいそう。

破壊されたままの塔と霧が幻想的で、なんだかラピュタみたい!

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ほんの数十分の間にあっという間に視界が真っ白になってしまいました。

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再び旧市街に戻るとなにもかも霧の中。

昼間は見渡せていたお城も微かにシルエットが見えるのみ。

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 霧に包まれる古い街、なんだかちょっとオドロオドロしいような、ワクワクするようなハイデルベルクの夜でした。

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フランス男にナンパされ、ドイツとフランスの違いについて考えてみた

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雪の後は良い天気!

今週にはいってから珍しく青空が続いています。

それでも雪が溶けないくらい気温は低いですけどね。。

 

そして更に珍しいことに、ミッテを歩いていたらフランス男にナンパされました。

 

フリードリッヒシュトラーセ、博物館島とテレビ塔が見える橋の上。お天気のいい夕方、夕日に染まりつつある景色が綺麗だなぁ~と、足を止めて写真を撮っていたら。

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「僕写真を撮るの下手なんだけど、いい写真とれた?」といきなり話しかけてきた男性。

 ん??

 写真撮ってる時に話かけられる経験、前回のことが頭をよぎり、こいつもまた私のカメラで自分の写真を撮ってくれとか言うのか??

doitsu-wahori.hatenablog.jp

 

「僕写真取るの下手だからさ。で、君いいカメラ持ってるしかわいいから話しかけてみたんだ」

は??

なんだそれ。何の脈略もないぞ、その説明。

 

「僕仕事クビになっちゃって!」と聞いてもいないのに勝手に自分のことをしゃべり出した彼。

今朝会社をクビになったらしい。

しかもそもそもこの状況がいまいち把握できず彼の話を適当に聞き流していた私は、fired(会社をクビになった)をそのままfireだと思い、火事にあったのだと勘違い(笑)話を聞いているうちになんかかみ合わないなぁ・・・と途中で「クビになる」ほうのfireか、と気づきました^^;

 

駅に向かって歩く私についてきて勝手に話続ける彼。「フランスから来たんだ」

英語がちっともフランス語訛りじゃなかったからフランス人て気づかなかったけど、言われて納得。そうよね、こんな軽々しく道端で声をかけてくるなんて、さすがラテンの男。

 

適当に話しながら駅に到着。すると

 「あ~あそこにカフェがあるね。どう、お茶しない?」

いやいや、家に帰るって言ったじゃん私^^;

「え~すぐ帰らなきゃだめなの?」

ここはズバっと断らなくては、と彼氏いるからと断った。

「そんなの言わなきゃ彼にはバレないよ」

さすが、歴代大統領が女性問題スキャンダルの経験を持つお国の男性には、彼氏がいるくらいじゃぁ断る理由にならないらしい(笑) Et alors?ってことね。

 

仕事クビになったような男には興味ない!と言ってみようかと思ったけれどちょっとキツすぎるかしらと自粛。断固としてお断りし解放されました。

 

と、この出来事からふとドイツとフランスの違いについて考えてみました。

 

ナンパ好きなフランス人、ナンパをしないドイツ人

こんな記事を見つけました。

euro-ijuu.info

ちょっと疑問な項目もありますが、ドイツ人が奥手である、というのにはうなづけます。(ドイツ人男性が女性からのアプローチを好むのかはおいといて)

2.ドイツ人男性は奥手である
ドイツ人男性は奥手です。クラブやディスコで女性だけで飲んでいても、あまり声をかけてきたりしません。どちらかというと、女性からアプローチされることを好むようです。

この記事の通り、ドイツで男性が気安く初対面の女性に話しかけるような場面は見かけません。奥手というのか紳士というのか、ただ女性に無頓着なだけなのか。

(もちろん個人差はあると思いますが一般的な印象で)

 

そういえば先日ドイツ人に「ドイツ人てほんとファッションに無頓着だよね。自分の着る物にも他人の着る物にも興味ないでしょ。フランスではおしゃれな格好してたらみんな「その服素敵だね」って褒めてくれるのにドイツ人は無反応」って言ったら

「確かにドイツ人は服装にあまり気をつかわないけれど、女性の服装に言及しないのはそれが軽々しい行為に捉えられることを懸念してのことでもあるんだよ。僕みたいに結婚している男性が他の女性の服装を褒めて、口説いていると捉えられたらよくないでしょ」と。そっか、そんなに慎重なのか、ドイツ人。

 

一方フランス。留学していたルーアンは小さな街だったので街で声を掛けられることはありませんでしたが、パリではレストランのギャルソン、ホテルのベルボーイに連絡先を聞かれたり、カフェで一人でご飯を食べていたら隣の席のおじさん達が話しかけてきて、一緒にどう?と誘われたこともありました。

 

 私がフランスで経験したように、海外では男性が軽々しく女性に声をかけてくるイメージがあったりしますが、ドイツ人はそんなことありません。日本人にとってドイツが暮らしやすいのは(少なくとも私はフランスよりドイツが居心地がいい)、こうした男性の女性に対する態度が日本人に近いのもひとつの理由なのかもしれません。

 

それにしてもドイツにいてもフランス人はフランス人なんだなぁ(笑)

 

失業率の高いフランス

彼は会社をクビになってしまったものの、引き続きドイツでの就職を希望していると言っていました。「フランスは仕事がないから」と。

 

フランスにいた時に印象的だったのは、ニュースでしょっちゅうchomage(失業)という言葉を聞くこと。2015年の失業率は10%失業率の高さはフランスの大きな社会問題となっています。

 

 

一方ドイツ、2015年の失業率は6.5%

彼はインターネット上でのレビューサイトを運営する会社の営業をしていたようですが、創立8年目の会社といっていたのでスタートアップ企業でしょうか。ベルリンはスタートアップが盛んなので、ドイツ語ができなくても若い外国人にとって職を見つけるチャンスに恵まれています。

 

彼もさっそく今夜ひとつ面接があると言っていました。(そんなにすぐに面接先が見つかるものなのかしら、と驚きです)何の前触れもなく突然クビを宣告されてしまったそうです。会社がちょっと前にゴールドマンサックスに買収されたからその影響かもしれないと言っていましたが。「営業3人の中で僕が一番成績が悪かったから」だそうですが、実力主義でこんなにばっさり解雇されてしまうなんて、恐ろしや・・・。

 

失業率の話に戻って、ちなみに日本は15年11月の失業率は3.3%。人口1億2700万人。

人口6,500万人のフランスに比べると、人口はほぼ倍で失業率は3分の一以下、これだけの雇用を創出できている日本てすごいんじゃない!?と思ったりするのです。

 

bisou(ほっぺにチュ)の文化

このフランス男とバイバイするときに、ほっぺにチュッチュッって挨拶して別れました。

フランスでは普通のことだったので、そいういえばドイツに来た当初「隣の国なのにドイツ人はほっぺにチュッチュの挨拶しないのね~」って思ったのを思い出しました。ドイツ人は仲のいい友達同士では挨拶時にハグはしますがキスはしません。

 

フランスでは老若男女、初対面であっても両頬にキスをして挨拶していました。その他にはこれまで出会ったなかではスペイン人、イタリア人もキスの挨拶をしていたので南ヨーロッパの文化かなと思っていたら。ポーランド人もするし、友達によるとデンマークもキス挨拶だそうです。おや?しないのはドイツだけ?

 

友達に言わせるとキスの挨拶は相手との距離が縮まるかんじがするし、ドイツ人はそれをしないからちょっと冷たく感じる、とのことですがこれまた日本人にしてみたら挨拶はハグ程度が気楽ですよね?

 

 

ドイツとフランス、お隣の国でも色々と違う点があるなぁということを久しぶりに感じさせてくれたナンパ男くんでした。

 

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ベルリン冬の散歩 Zitadelle Spandau シュパンダウ要塞

土曜日の夜に降り始めた雪で白銀の世界だった日曜日。

いつもとは違う景色を見に、ちょっとだけ遠出の散歩に行って来ました。

 

ベルリンの西の端、Spandau(シュパンダウ)へ。U7の終点です。

なぜ雪の中わざわざ自宅から真逆の地へ足を伸ばしたか?

ルネッサンス様式の要塞があるというので行ってきたわけです。(別に雪は全く関係ないんですけどね)

 

ベルリンに要塞?そんなのあるの??

と行くまでちっとも想像できなかったのですが、なかなか立派な要塞で、博物館も併設されています。

 

こーんな、手裏剣のような?おもしろい形をしているZitadelle Spandau(スパンダウ要塞)

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1557年にイタリアの建築家Francesco Chiaramella de Gandinoによって着工された、16世紀の理想的な要塞だそうです。ベルリンに近く、シュプレー川とハヴェル川が交わるこの場所が要塞を築くには最適ということで、ブランデンブルク辺境伯ヨーアヒム2世によって建てられました。

 

 

橋を渡って川に浮かぶ要塞へ。

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要塞を取り囲む川?池?も凍って一面真っ白です!

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まずは門を入ってすぐの博物館へ。

スパンダウ要塞の歴史について展示されています。

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この博物館の一番最初にあって私が一番気に入った展示。

歴代の兵士たち?の帽子コレクション!!

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こんな尖がりがついた帽子、世界史の教科書に載ってたビスマルクも被ってたよね!?

骸骨がついたのは何なのかしら?

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要塞内で最も初期に建てられた塔。上に登ることができます。

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螺旋階段を登りきり、上からの眺めがこーんなかんじ!!

左手に見えるスパンダウ旧市街のニコライ教会がいい感じ!

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本来は壁の上も歩けるそうなのですが、この日は滑って危ないからと立ち入り禁止でした。

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博物館を出て雪で真っ白な庭を散歩

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要塞内には博物館の他に、 Archäologisches Fenster Burg Spandauと名のついた考古学展示室もあります。

 

今の要塞が建てらる前、もともとこの場所にはスラブ系民族が11~12世紀に建てた、集落を取り囲む要塞があったそうで、その発掘場所が屋根を付けられて展示室になっています。

木枠と土を使った要塞だったそうです。

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この他にもう一つ、シュパンダウの街の歴史を展示した博物館があります。

 

ベルリンの端っこ、なかなかマニアックな歴史に触れられるシュパンダウ要塞でした。

 

要塞を出て、シュパンダウ旧市街へ。

黄色とオレンジのグラデーションになったカラフルな建物が目を惹きます。

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旧市街のトレードマーク?ニコライ教会。

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その前には要塞を建てたヨーアヒム2世の銅像が。

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ベルリンにもこんな街並みがあったのね、という可愛らしい風景です。f:id:mikamilka:20160120042801j:plain

雪の中、新たなベルリンの一面に出会う散歩でした。

 

 Spandauer Zitadelle

 Zitadelle, Am Juliusturm 64, 13599 Berlin

 

 

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フラメンコ教室で感じるドイツと日本の違い

9月からベルリンでも習い始めたフラメンコ。

来週末の発表会に向けて『ソレア』という曲を練習中です。

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ダンス留学でもなんでもないただの趣味ですが、日本のフラメンコ教室と比べて違いを感じるところがあるので、それについて書いてみたいと思います。

 

基礎への重点の置き方の違い

私がフラメンコを習い始めた頃に感動したのは、ちょっとした腕の角度だったり体のひねり方で見た目の美しさが変わること。一瞬の動き、ポーズに美しさを求めること。

きっと、バレエや体操を習っている人にとっては当たり前のことなんだろうけれど、それまで全く体を使って表現する類のものをやったことのなかった私には、そのことがものすごく新鮮でした。

 

だって普段の生活で鏡で身だしなみ、お化粧をチェックすることはあっても、立ち姿の美しさまで追求するようなことってなかなかないでしょ?

 

レッスンではお教室の前面がすべて鏡になっているので、レッスン中常に自分の全身と対面することになります。このこと自体、なんだか照れくさくて新鮮でした。踊るだけでなくて美しく見せることも追求すること、これが「踊り」ではなくて「舞踏」ってものなのか、と感銘を受けたのです。

 

フラメンコはバレエほど体の柔軟さは求められないし、体型も関係ない。むしろお尻や胸にボリュームがあったほうが見栄えがするので、大人になってからでも気軽に始められるダンスです。

ちなみに、日本は本場スペインに次いでフラメンコ人口が世界第二位だそうです。

 

 バレエに比べてストイックな体作りは必要としないにしても、闇雲に踊っていてもだめで、やはりある程度姿勢に関する基礎、フラメンコらしく踊るコツみたいなのはあります。

 

その基礎を教え込むことへの重点の置き方が日本の教室と今通っている教室では違うなぁと感じています。

 

日本で通っている教室では、習い始めて5年以上経ついまでも、何度も何度も体の使い方を注意されるし、一瞬の振に対しても時間をかけて一人一人丁寧にどうしたらもっと美しく、フラメンコらしく踊れるのかということを教えてくれます。

 

それがベルリンのお教室では・・・

ちなみに、先生はアントニオ・ディアス先生。

スペイン人!!

と思いきやのポルトガル人(笑)男性の先生です。

 

たしかに、ところどころポイントとしてポーズの取り方、体の使い方を説明してはくれるけれど、だからといってそこでストップして時間をかけて正しい姿勢で踊れるようになるまで教え込むということはないんです。

 

だから、今のクラスの他の生徒さんたちもみんなフラメンコ歴5年程度で私と同じくらいだけど、私が見ても、あぁ~そんな踊り方してたら日本の先生だったら絶対注意するだろうな~って踊り方をしている。

 

そんな光景をちょっともどかしく思いつつも考えた。

日本の先生は細かすぎるのかしら。趣味なんだしそんなに厳格に教えこまなくても楽しく踊れていればいいのかしら。

たしかにいちいち基礎にばかり気を遣っていたら楽しさが半減してしまう気はする。思うままに体を動かしていればいいんじゃないか、という気もする。

 

趣味の教室であっても完成度の高さを追求する日本。

趣味なんだし完成度はそこそこに自由に踊らせるドイツ。

 

型にはめて基礎をきっちり教えるのが日本式

 

趣味のダンス教室をとってみても、こうして生真面目に細部にまでこだわる日本人の気質ってでるのね、と感じつつ、もうちょっと考えてみた。

 

例えば生け花とフラワーアレンジメントと比べてみても、気分やコンセプトに合わせて自由に創作できるフラワーアレンジメントに対して、生け花には活け方の指針となる伝統的に受け継がれている型がある。茶道もそう。

基礎の型を重んじるのは、日本文化の特徴であって日本人のDNAに伝統的に染みついているものなのかもしれない。

 

同じ「フラメンコレッスン」に対するアプローチにこうして日本とヨーロッパで差がでるのはちょっとおもしろい発見でした。

(ちなみに、フランスで一度だけフラメンコ教室に参加したときもこんなかんじでした)

 

 私は日本式のきっちり教えてもらえるのに慣れてきているので、やっぱりそっちが好み。だって先生みたいにかっこよく美しく踊りたいし。

 

今習っている『ソレア』、私はみんなより半年遅れて習い始めたけれど今では完全に追いついて一番正確に踊れています。

これは日本で基礎を教え込まれてきたおかげだし、やっぱり基礎がしっかりしているって強いんだなと感じるところ。

 

ピカソだってちゃんとしたデッサンが描けるし、書道も行書を書くには楷書がきちんと書ける必要があるように、どんな芸術でも基礎は大事ですよね。

 

ただ、こうして型通りに踊ることを教えられてきているので、表現力には欠けるんだろうな、とは思います。正確に踊ることはできても、「内面から溢れる情熱を体で表現する」みたいなことは苦手です。苦手というのか、型の破り方が分からない、という感覚かな。

 

これってフラメンコ教室だけじゃなくて、教育についても同じことが言えるんじゃないかと思います。

例えば語学学習。日本人はテキストに忠実に文法を覚えるのは得意でも、それ故に間違いを恐れて発言するのが苦手。ヨーロッパの学生たちは文法はちゃめちゃでもとにかく発言する。とか。詰め込み式教育を受けてきているので、ヨーロッパ人に比べて自分の意見、考えが言えない、とか。

 

と、フラメンコから話がそれてしまいましたが、よくも悪くも日本人は型にはめられることを刷り込まれてきているんだなぁと感じるのです。

 

振付は先生の気分次第!?

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本場のフラメンコはギターリストが踊り手に合わせてくれる、踊り手が即興で踊っていいものです。もちろん、曲によってある程度決まった振りはありますが。

 

でも私たちみたいに趣味のお教室ではちゃんと振付が決まっていてみんなで全く同じ振付で踊ります。 

 

それが、アントニオは週によって振りが変わることがある

私は真面目に家に帰ってもその週習った振りは忘れないように復習しています。

それなのにせっかく覚えていった振りがそっくりそのまま次の週にはカットされることも(笑)

えぇーーーーー先週あんなに練習したじゃん!!なんだったのさ、あれは!?

みたいなことが何度かありました。

自由。

 

しかもアントニオ、毎週のように振付を忘れる。しかも毎回同じ箇所。

「あれ?この次なんだっけ?」で私がこうです、って教えてあげて「あぁ、そうだそうだ!」っていうのが何度もありました。先生しっかりー(笑)

 

あとは、月に2回ほどギターリストのおじさんが来てくれて生演奏で練習できるのですが、ギターリストと話し合ってその場で振りが変わることも。

 

振付がコロコロ変わるのは必死に覚えている身としてはちょっと困るけれど、音楽に合わせてその時のノリで振付をこうしよう、って決めている先生を見れるのは、本場に近い感じがしてさすがだなぁと感じます。

やっぱり日本人の先生が踊るよりも迫力があるので、見ていてものすごくテンションが上がります。

 

踊りまくって体にたたきこむ!

基礎へのこだわりは薄いけれど、アントニオのクラスではとにかく何度も何度も同じ個所を繰り返し踊ります。頭で考えずとも体が自然に動くようになるまで踊らされる感じ。

 

今のクラスは毎回生徒が3~5人と少人数なので、みんなで円になって向き合って、ひとりづつ順番に踊らされることもあります。

私は日本の教室でさえ、ほんのひとパートであってもみんなに見られながら一人で踊るって苦手なんです。「間違ったら嫌だな、恥ずかしいな」って気持ちが出てしまう。

 

それが表情に出てしまった私を見て、アントニオに「間違ってもいいから、そんなの全く問題ないから。間違ってたら僕が直してあげるから」と言われ、この練習で音楽と一体になる、踊りに入り込むっていう感覚を初めて経験しました。

 

最初はみんなの視線を浴びてひとりで踊ることに硬くなっていたのですが、踊っているうちに音楽に合わせて体を動かしていることがすごく気持ちよくて、ふと先生と目があった瞬間に思わず笑顔がこぼれてしまうくらい、うわっ、めちゃくちゃ楽しい!!っていう感覚。

 

大げさかもしれないけれど、踊ることで気持ちを解放する感覚が分かった気がします。

これを経験できたから、フラメンコを踊ることが今までよりもっと楽しくなったし自信がつきました。

 

ここはフラメンコの本場ではないけれど、日本の教室では経験できなかった感覚を教えてくれたアントニオ。発表会が楽しみです。

 

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久しぶりの日本で感じたギャップ

一時帰国は二泊三日で先週末にはベルリンに戻ってきました。

こんな短期間の日程だとフライトは長いし、時差ボケもどっちつかずで、時間の感覚を失いますね。

 

10か月ぶりとはいえ、久しぶりの日本で感じたちょっとしたギャップのあれこれをまとめてみます。

 

青空が眩しい!!

天気、気温の違い。

特に年が明けてから急に極寒になったベルリン。日本に経つ前数日間は昼間でも-10度の私にとっては前代未聞の寒さ。今年は暖冬だと思ってすっかり油断していたら・・・。駅で電車を待つ間じっと立ってられない寒さ!!

出発時のテーゲル空港は雪が降っていました。

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それが一転、日本。

これまた暖冬で気温12度。あぁ、暖かい。昼間はコートもいらないくらいなポカポカ陽気でした。

そして久しぶりの青空!!

あぁ、、そうだよね、空ってちゃんとこんなに青いんだよね。ベルリンは本当にいつも曇り空でグレーだから、冬の清んだ空の眩しいこと。

 

日本を経つ朝も7時過ぎに家を出たらまだ少し朝焼けの残った空が美しくて。青空を見れないことに慣れてしまっていたから、日本にいる間ずっと晴れていて青空を見れることがなんだかとっても特別すばらしいことに感じました。

天気がいいっていい!!

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洗面台と便座が低い!!

トイレで腰を下ろした瞬間と洗面台に身をかがめた瞬間の違和感!

低っっっ!!!

 

これはフランスから帰って来た時もそうだったのですが、日本人とヨーロッパ人の体格の差はこんなところに影響が出ますね。

それにしても日本の設計は低すぎるんじゃないかしら。洗面台を使うのにものすごく腰を折らないといけないので、ドイツ使用の方が使いやすいなぁと感じました。

我が家だけ?今時の家は違うのかしら。

 

水が優しい!!!

もうね、これは本当に1回の洗顔、洗髪で違いが分かる。

 

最近肌のハリがなくなった気がしてあぁ、もうそういう年ってことよね・・・と諦めていたのに日本に帰ったら一晩で肌質が復活したのには驚いた!肌のハリと化粧のノリが違う!

老化したのではなくて水のせいだったのね!

 

硬水のせいでコシが失われたうえ、かつてない位に傷んで引っかかっていた髪の毛。冬の乾燥も相まってボロボロだった髪の毛にはかなりストレスを感じていました。

 

髪の毛はドイツに来て一度も切っていなかったので10ヶ月以上伸ばしっぱなし。そりゃぁ痛みます。髪の毛だけは絶対に切って帰りたかったので美容室に行って来ました。

特にトリートメントは追加しなかったのだけれどシャンプーのときに丁寧にトリートメントしてくれたみたいで髪の毛が生き返った!ボリュームも水が変わっただけで復活!

 

せっかく生き返った肌と髪の毛ですが、ベルリンに戻って来たら即後退しました・・・。



家事能力が上がった!

これはドイツ生活の成果です。といってもちっとも威張れることではないのですが。

実家を出たことのない私はこれまで恥ずかしいくらいに何もかも母親に任せっきりで生きてきました。それがドイツに来てから初の一人暮らしを始めて、家事がテキパキとできるようになっていた。(ようやく人並になりました^^;)

 

祖母が入院してしまって、介護の必要な祖父のため私の帰国中も母は祖父の家に泊まり。ということで朝の父の送り出しは私に託されたので、私以上に何もできない父のために朝6時起きでお味噌汁を作って。おぉ、以前は朝味噌汁をつくったことなんてなかったのに!

 

炊飯器でご飯が炊けること、使い慣れたキッチンで料理できること、必要な調味料が全て揃っていること。いつも自分がやっていることが日本の慣れたものでできることが嬉しくて、ちょっと家事が楽しかったです。

 

あとは、洗濯物を晴れた空の下に干せる喜び!!

 

 

最近はすっかり日本とは離れて生活しているなぁと思っていたのですが、10か月やそこらでは簡単には長年生活してきた環境への馴染の感覚は衰えません。たった2、3日でも家に帰った瞬間に一気に馴染のある生活に戻りました。

地元に愛着なんてない、と思っているのですが、それでも、ドイツでの生活なんてなかったんじゃないかって思えてしまうくらい一瞬でかつての自分の生活環境に馴染んでしまうことに、長年生活してきた環境とのつながりの強さに少し驚きのような不思議な感覚を覚えました。

 

それでも、そんな自分が育ってきた環境を新鮮な目で見直す機会を与えてくれる海外生活。日本から再び”帰る場所”があるというのも初めての経験で、これまで感じたことのない感覚を体験した一時帰国でした。

 

 

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予期せぬ緊急一時帰国、祖母の入院

ドイツ滞在残りの日々が2か月をきったこのタイミングでの一時帰国。

まったく予想していなかった。

 

12月31日の朝一で見た母親からのLINEメッセージ。

「今日おばあちゃんが入院しました。検査したら左の肺が真っ白で肺がん末期だそうです。みかも一度帰ってくることを検討しなくちゃいけないくらい悪い状況です。」

 

見た瞬間頭が真っ白。

夢かと思いたかった。

メッセージを見てすぐに親に電話したときには涙が止められなかった。

 

大好きな祖母。

年末にちょっと体調を崩しているのは聞いていて心配していたのだけれど、いままで肺がんを患っているようなことを感じさせることなんて全くなく、少なくとも私がドイツに発つ前は元気だったのに。

 

全く信じられず、でもものすごくショックで、帰国するかどうか迷う余地なんかなかった。

末期がんだと分かったからってすぐに最悪の状況を迎えるわけではないけれど、それでも会えるうちに会いに行かなくちゃ。

 

編み物が得意な祖母。

毎年セーターを編んでくれて、暖かい祖母の手編みのセーターはドイツにも持ってきているし、ほんの1か月前にも母から「おばあちゃんがセーターを編んでくれたよ」って連絡があったし、いつもと変わらず元気でやっていると思っていたのに。

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「こんなに複雑な編み図を読んで編むことができちゃうなんて、絶対に呆ける心配はないね」なんて笑っていたのに。まさか体が病んでいたなんて。

 

まさか。私がドイツにいる間に祖母が入院するような事態になることすら予期していなかったのに、がんだなんて。

ほんとうに信じられない。

 

だって、末期って、じゃぁいつからだったんだろう。

全くの兆候なしに末期なんてあり得るの?

それともおかしなところがあったのに黙っていたのだろうか。

 

ほんとうにほんとうに、私の記憶の中の祖母はどんなに最近の姿だって、そりゃあ腰は曲がっちゃって小っちゃかったけど、まだまだ畑仕事だってしていたし、体の中を病気にむしばまれているなんてちっとも思いもしなかったのに。

 

 

祖母への想いが込み上げてきて、帰国までの数日間もちょっと気を抜くとすぐ涙が出てきて。

 

 

大好きな祖母。

一緒に住んでいたわけではないけれど、車で20分くらいのところに住んでいて、小さい頃からよく遊びに行っていた。

 

 

結婚前は小学校の先生をしていたためか、私が小さい頃から一番勉強を見てくれた。「おばあちゃん塾」と称した週末のお泊り特訓。終わるとおこずかいをくれて、たくみにお金で釣りながら私に勉強の習慣とモチベーションを与えてくれた。

子供の頃体験した戦争の話を何度も聞かせてくれた。

読書好きだって祖母の影響だと思っている。

 

 

農業を営んでいた祖父母。

中学生になるまでは毎年稲刈りの手伝いもした。土を触ることを身近に経験しながら育ったこと。今でも田んぼの中の風景や自然の中に居心地の良さを感じるのは、そのおかげなんだろうなって思っている。

祖父母の田んぼでとれるお米のおかげて我が家はお米を買ったことなんてなかったし、お米以外にも、じゃがいも、だいこん、にんじん、きゅうり、ブロッコリー、とうもろこし・・・なんだって「おばあちゃん産」だった。

私の体は祖母がつくってくれた野菜でできている。

 

 

2年前に祖父が脳梗塞を起こし入院した。幸い軽症で今は障害が残っているもののそれ以外は元気に回復した。

 

そのときだって、それまで元気に畑で働いていた祖父が病院のベットに横たわっている姿を見るのがすごく辛かったのに。まさか祖母が入院する姿を見る日がこんなに早く来てしまうなんて。

ドイツに行く前、祖父の体調は心配していたけれど、祖母が体調を崩すなんて思ってもみなかった。

 

今でもしっかり覚えている。一緒に病院にお見舞いに行った時、病室で祖父の手を握りながら励ましていた祖母の姿。

そんな祖母の体があの時すでに病んでいたなんて。

 

思い出す一場面一場面が、どうして早く気づけなかったんだろうって、悔しくて仕方がない。

 

 

とても穏やかで温厚な祖母。

いつもニコニコしていて褒め上手。

 

子供の頃、テストで1番が取れなかったときも、「1番をとっちゃったらその上がないけれど、まだまだ上を目指せる余地があるんだからいいじゃない。」と言ってくれた。

 

弟が酔いつぶれてお財布携帯を取られて帰って来た時も「人のもの取っちゃう側じゃないんだからいいじゃない」って。

 

おばあちゃん、そういう捉え方してくれるのね(笑)って。

そういう祖母の温かい優しさに甘やかされて育ってきた。

そんな風にいろんな事を肯定的に捉えられる祖母の穏やかさを尊敬して、私もあれくらい寛大でありたいなって思って生きてきた。

あんなに穏やかでいれたらストレスも少ないだろうし、がんなんて無縁で生きていけるんだろうなって、思っていたのに。

 

何を思い出したって、この現実を受け入れられない。

 

以前、「みかちゃんがこの間産まれたばかりだと思っていたのに、もう成人式なのね」って言われたとき、そんな大げさな、って思っていたけれど。今の私にとっては、子供の頃の祖母の印象のままいつまでも元気だと思っていたのに、現実には時間と共に祖母は少しずつ老いてしまっていたんだって。

 

ある程度の年齢に達してからは自分の容姿は大した変化もないし、あまり時の流れが人に及ぼす変化って自分自身からは感じにくくなっていたけれど、自分より年長の人たちは確実に老いてゆく。そんな現実を直視させられた。

 

 

みかちゃん、いい人がいたら早く結婚してよ。おじいちゃんとおばあちゃんが元気なうちに花嫁姿見せてよ」ここ数年は会うたびに言われて。

 

そうは言われてもそれだけは簡単には叶えてあげられない。だけどあと10年くらい大丈夫でしょって思ってた。

 

私の子供もおばあちゃんの手編みのセーターを着て育つんだって思っていたのに。おばあちゃんに抱っこしてもらいながらたーくさん優しさを知って育つんだと思ってたのに。

 

間に合わないかもしれない。

ごめんね。

 

 

そんなたくさんの想いが溢れてくる。

 

 

 

昨日の夜に羽田に着き、10か月ぶりの帰国。

時差ボケと寝不足と泣いたせいで重たい瞼。風邪の名残で鼻水も止まらない。

まずは祖父の家に寄り祖父と再会、それから一緒に祖母の病院に行ってきた。

 

久しぶりに私の顔を見て「立派になったな」なんて、もうこの年になったら10か月やそこらじゃそんなに変わらないでしょ、って思いながらも元気な祖父の姿を見れて一安心。

 

二言目に「おばあちゃん、入院しちゃったよ」って。初めて祖父の涙を見て私も涙をこらえられなかった。

 

病院は何度行っても苦手。誰であっても、元気だった人がベットに横たわっている姿を見るのは辛い。

私の顔を見て喜んでくれた祖母。「もう会えないかと思った」

そんなこと言わないで。

 

鼻に酸素注入のチューブを付けていて、たまに呼吸が苦しそうにしている姿を見るのは居たたまれなかった。だけどちゃんと会話はできるし、笑顔も見れた。

 

「おじいちゃんとおばあちゃん、あなたたちみたいな孫に恵まれて幸せよ」って。今日もそう言ってくれた。

「それは素敵なおじいちゃんとおばあちゃんに恵まれたからだよ」本気でそう思っている。そう言ってくれる祖父母の存在がどれだけ私の糧になっていることか。

 

 

「2月の末に帰ってくるから、それまでがんばってね」

もちろんもっともっと生きていてほしいけれど、せめて私が帰って来るの待っててね。

 

祖母の顔を見れたこと、会話できたことですこしほっとしたけれど、やっぱりふと気を抜くと涙が止まらない。涙腺て一度緩むと開きっぱなしなのね。

 

大切なものを失ってしまうかもしれないという恐怖は、実際に失うことよりも辛いんじゃないか。

そう思えてならない。

 

 

毎日でも祖母に会いに行たい。

だけど、まだドイツでやり残していることがあって本帰国はできないの。

 

長居することができないので、家族以外には知らせずこっそり帰ってきました。

せっかく帰ってきたけれど明後日の昼にはまたドイツに戻ります。

 

 

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