ジャパニーズ優等生
ドイツ語の昇級テスト。
この学校は昇級テストでがあります。60%とれれればOK。
そのテストでクラスで1番だった。
なんというか、自慢ではなく、よくも悪くも私は相変わらず優等生なのだ。
と思ってしまった。
文法は得意だからテストでいい点をとるのはそんなに難しいことではない。だけどここは日本の高校ではないから、文法だけできたって仕方ないのだ。
と私は思っている。
どんなに文法を正しく理解していたってしゃべれなければ意味はないのだし。べつに、テストでいい点とるために学校に通っているわけではない。ドイツ語をしゃべれるようになりたいから通っているの。
もちろん、しゃべれるようになるには文法の知識だって必要だけど、でも、言葉を流暢に操れることと文法を正しく理解していることってイコールじゃないでしょ?(母国語について考えてみれば明白ね)
今のクラスには、ドイツに5年住んでいて、ドイツ語の会話は全く問題ないけれど、文法ができないから学校に通っているインド人がいる。彼なんか典型的な例で、先生とはドイツ語でスラスラしゃべっているけれど、文法はちっとも分かっていないみたい。
英語でも同じことだけれど。
中高の時に通っていた英語塾の先生が、とっても理論的に英文法をたたきこんでくれたのと大学が英文科だったから、私は英文法に関しては人より得意だと思う。そのおかげで、フランスの語学学校でもそうだったけれど、先生が文法用語を使って説明してくれれば理解できる。むしろ文法用語を使って堅苦しく理論的に説明してくれたほうが理解しやすいのだ。
でもヨーロッパの他の学生たちは違って、みんな文法は苦手だけれど、それでも間違いをものともせずしゃべる。英語でもフランス語でも語学学校に行くたびにつくづく感じる、文法知識とスピーキング能力はまったく比例しないということ。文法の理解なんて中途半端だって、しゃべれるようになりたい!
だからテストがクラスで一番だったこと、なんとなく後ろめたいのだ。
しゃべるのは私が一番へたくそで、ゆっくり、一語一語考えながらでないと口にだせない。自分が一番劣ってるって分かってる。なのにテストでは一番をとっちゃって。クラスメイトからすごいね的なことを言われる。
中高生の頃なら、クラスで一番をとるのが誇らしかった。でもここでは違う。
私も文法なんてどうでもいいから、(必要ではあるのだけれど)しゃべれるようになりたいの!
私よりも遥かにしゃべれているクラスメイトがうらやましくて。1ヶ月経ったけど未だに思うように言葉が出てこない自分がもどかしくてくやしくて。なんだか複雑な気分。
結局私は勉強が好きだし得意なんだと思う。勉強が得意ってのはなんだか曖昧な表現だけれど、
勉強を迫られたときに、効率よく物事を理解する方法を心得てるっていうのかな。これは学生時代真面目に勉強してきた甲斐があるというか、私がしきてきたことの結果なんだと思う。でもそんなの大した役にはたたなくて。
実用的なことは苦手なのに勉強はできてしまう。
ジャパニーズ優等生だなぁ。と皮肉な意味で思うのです。